ご希望であれば、喜んで私の経験も含めて、いろいろ知っていただきたいと思います。
超能力、霊能力などの能力は、別に不思議な能力ではなく、本来だれもが持っている能力なのです。
小さな子供達、だいたい5歳までの子供達はこれらの能力を持っていますが、だんだんと周りからの否定や教育により、その力を
失っていきます。 残念なことだと思います。
しかし、心の持ち方や訓練により、これらの能力を少しずつ蘇えらせることも可能です。
基本的に、肉食は薦められませんが、現在の環境を考えると一切口にしないということは、事実上不可能なので、お肉を食べるのは
楽しみのひとつと考え、恒常的に食べないようにすることも大切です。
肉食があまり薦められない理由
1.動物虐待
殺して食べるために牛・豚・鳥などの動物を檻の中で飼育することは、動物虐待であり、動物本来の権利を奪うことであり、必ず、
それに対しての責任を取らされることとなります。 (狂牛病、鳥インフルエンザなど)
殺される前に泣き喚く動物達の姿を、もっと皆が知ることが大切であり、動物は人間の食物として生まれてきたのではありません。
2.餓える人を増加させる
本来、人が食べるものを牛・豚・鳥などに穀物などを食べさすために、穀物の不足地帯を生むこととなる。
もし、私達が食べる牛や豚などへ与える穀物を、アフリカなどに与えたら、世界中から餓えは無くなります。
3.消化に悪く内蔵に大きな負担をかける
ご存知のように、お肉はとても消化しにくい食べ物で、内臓に大きな負担をかけますし、病気を誘発します。
4.濃度の高い有害物質が含まれる
大きな動物ほど食物連鎖の上位にいるため、高濃度の有害物質が含まれている可能性が高いこととなります。
土壌汚染、雨水汚染、地下水汚染、空気汚染などあらゆる汚染のなかで、植物は育ちます。
その有害物質を含んだ植物を小型草食動物が食べ、その小型草食動物を大型の動物が食べると言う食物連鎖があるため、
大型動物になるほど、高濃度に有害物質が濃縮されることになります。
ご存知のように、牛・豚・鳥の飼育に用いる穀物などには、抗生物質を含む多くの有害物質が含まれていますが、穀物としては
微量な有害物質であっても、その穀物を食べ続ける動物には高濃度に脂肪に濃縮されていきます。
5.霊的に、波動的に悪い
肉類を消化する時に、大量の霊的エネルギーを消費してしまいます。
地上で自由を享受するのは人間だけではありません。
全ての生き物が自由を享受する権利を持ち、本来は守ってあげる立場にある人間が、動物などを苦しめ利用していいはずがありまん。
必ず因果応報が働きます。
食肉用動物に与えられる大量の抗生物質などの薬品が、めぐりめぐって人間の体内に入り新たなる病をもたらしますが、これも当然な
ことで、自然な因果応報の現れです。
肉食に限らず、物質中心主義から生まれる病は感染力が強く、すぐに蔓延する一種の伝染病が多く発生します。
また、動物は殺されるときに恐怖心や憎しみの気持ちを持ちますが、その恐怖心や憎しみの波動がそのまま血や肉に転写され、それを
食べる人間にもその粗雑な波動が伝えらることとなります。
お肉をいただく時は、動物たちへの感謝の気持ちを忘れずに持つことで、そのお肉にある念を清めることが出来ますが、あまり好んで食べ
ないことのほうが重要です。 (狂牛病などは人間が動物への感謝を忘れたことに対する、摂理からの警告です)
ベジタリアンのなかには、ベジタリアンであることで霊性が高くなると勘違いしている人が多くいますが、ベジタリアンと霊性の向上との関連
はなく、無理にベジタリアンに拘る必要もなく、人に強制する必要もなく、自分の思いの食事を自分の判断でいただくことが基本であります。
野菜にも霊が宿っていることを忘れてはなりません。
肉を食べることへの罪の意識を感じるほど霊性が向上した人が、動物の肉を好んで食べることは、さらなるカルマを作ることともなります。
動物は死後、その種の意識体(類魂)に融合されていきますが、屠殺、毒殺など、人間に殺された動物は、恐怖心におののき、本能的な
復讐心に駆られて、暴れ回ることとなり、その想念が地球の想念にも影響を与えることとなります。
医療では有名なプラシーボ効果ですが、治療のひとつとしてプラシーボ療法ともよばれます。
医師、患者とも絶大なる効力を信じている抗生物質を例にとると、
抗生物質は細菌には効いてもウィルスには何の効果もないことは周知の事実です。
ところが、ウィルス性の喉の炎症や痛みがある時に、他の薬ではなかな効果がないのに、効くはずのない抗生物質を投与すると症状が
治ってしまうことが多々あります。
なぜ治るのか? 医師・患者ともに絶大なる信頼をおいている抗生物質という名のもつプラシーボ反応以外には考えられません。
また、プラシーボ効果は相反する作用を生み出すこともあります。
例えば、毒キノコを誤って食べてしまったことに気が付いた人は、自分が中毒をおこし、場合によっては死に至ると思い込みます。
そのように思った人は、意識を悪い方へ悪い法へと集中させることによって、ますます症状を悪化させ、身体的不愉快、恐怖感、方向感覚
喪失、痙攣などを経験し、病院で治療することとなります。
ところが、同じキノコを意識の拡大をするために、毒があることを知っていながら食べた人は、適度な量なら気分も悪くならず、治療の必要
もなく快い夢心地の状態で、知覚が研ぎ澄まされ、さまざまな高次の意識状態を体験することとなります。
同じものを食べたのに、プラシーボ効果として肯定的な体験にも、否定的な体験にもなりうります。
多くの方からご質問をいただきますので、お返事に時間がかかることがありますが、ご理解の程よろしくお願いいたします。
まずは、この「よくある質問」のコーナーを、よくご覧になったうえでメールをいただけたらと思います。
健康を害する前には、必ず何らかの警告があったはずです。
睡眠不足になれば眠く、栄養が必要になればお腹がすき、食べ過ぎたら胃がもたれ、飲みすぎればムカついたり、様々な症状を呈して
私たちに警告しています。
度重なる警告に従わず、その人のもつ自然治癒力の限界点を超えた時に、その警告が病気という結果を引き起こすこととなります。
人は必ず、1日の間にでも一種の不快感(精神的・肉体的に)のようなものを感じるものです。
その不快感に注意をかたむけ、以下のように考えてみて下さい。
「この不快感は、いつからだろう? 原因は何だろう? この不快感は私に何を伝えたいのだろう?」
このように考えてみることで、取り返しのつかない病気などに陥る前に、警告に気づき健康を管理することができます。
生活している上で、私たちが感じる不快感は、本当の自分と波長があっていないことを私たちに気づかせるためのメッセージなのです。
不快感という内なるメッセージに耳を傾ける、自分の心の中に耳を傾ける習慣を持つことは、とても大切なことです。
そして、笑顔を忘れずにいることはとても健康であることの秘訣ですし、時折、自分の身体を撫でて褒めて感謝してあげて下さい。
「健康になろう」 「長生きしよう」 このような強い意識や思いは欲望でもあります。
もっと、自然にあるがままに、天にお任せする気持ちが健康で暮らすことにもなります。
多くの人は、愛を受けることことばかりにとらわれ、愛を与えることを忘れてしまっています。
なかには、愛を受取ることができない方もおりますが、、、
愛を与えるとは、相手の気持ちを理解することであり、必要があればあなたができる範囲のことをしてあげたらいいのです。
人に親切にしてあげたらいいのです。 とても簡単なことです。
私たちは、美しい草花や自然に感動し、いつも自然から多くの愛を受取っていますが、受取るばかりで自然に愛を返すことを忘れてしま
いました。
山、海、川、木、草花などあらゆる自然に心から感謝し、愛の言葉をかけてあげて下さい。
そして、あなたが与えた愛は全て記録され、与えた分だけ時と場所を変えて受けることとなります。
フラワーエッセンスとはフラワーレメディとも言いますが、花が持つエネルギーを水に転写し、その水で心身を癒す手法です。
ハーブ、エッセンシャルオイルのような植物の抽出成分を利用するのとは全く異なり、フラワーエッセンスから物理的な成分は何も
検出されません。
植物で一番エネルギーが凝縮されている花の部分のエネルギー波動を水に転写し、その波動水を摂取することで心身を癒します。
すでに一部の医療現場でも利用されていますし、水が情報などを記憶することができたり、水が一種の意識を持っていることは証明
されています。
植物には、それぞれ固有の振動周波数があり、フラワーエッセンスやアロマは、一種の波動療法であり、植物がもつ特有の波動を
利用し、癒しの波動を与えることで治癒に導くことができます。
ホメオパシー療法も波動療法ですが、同じ負の波動を与え、その干渉・打ち消しあいを利用して中和させるよりうな療法であります。
コチラも参考にして下さい。
Q:波動とは? 物質は全て波動と聞きましたが?
病気にならないためには、健全で安定した精神状態(心)、健全な食生活、十分な休養、適度な運動が大切です。
病気は、今の自分が歩んでいる道が、自分が心から望んでいる道ではないということを教えてくれる教訓の機会です。
自分の生き方が間違っていたという表れともいえます。
自然の摂理に調和していれば、病もありませんし、全てのことがうまくいきます。
それらと同時に、自分のしたいことをしている人は、あまり病気にはなりません。
全ての人に当てはまるわけではありませんが、自分のしたいこと、憧れていることを今一度考えてみて下さい。
小さいころからの夢、憧れ、一番したいことを今一度思いだし、その憧れを実現するのに障害となることを取り除いてみてはどうでしょうか。
その憧れはあなたの人生の使命である場合も多く、その憧れにあなたを託してみましょう。
きっと、幸せを感じ、日々の些細なことなど気にならなくなる自分に気が付くはずです。
そうすると、あなたの心が大きく変化し、自然と病は癒されることでしょう。
コチラも参考に、
Q:病気の根本原因は、全て心から、というのは本当ですか?
11:健康 病気 食生活 アレルギー 肉食 ベジタリアン 睡眠 動物実験 月と健康 プラシーボ効果
フラワーエッセンス(フラワーレメディ ) 原子力エネルギー 避妊 人工中絶 自然災害
出産時にかぎらず、赤ちゃんがお腹にいる胎児期における様々な出来事などが、生まれてくる子供の心や健康状態に大きく影響
します。
母親が出産時に全身麻酔や、呼吸困難、パニックなどの症状を伴った場合には、生まれてくる子が喘息などの呼吸器系のトラブル
を持つことがとても多くあります。
信じられないかもしれませんが、お腹の中の子供は、母親や家族などの会話を聞くことができ、家族の深い感情の部分や、彼らの
容姿まで知っています。 だから、生まれて間もなく目も見えないはずなのに、母親や父親を見分けることが出来ます。
例えば、両親が女の子の誕生を望んでいなかった場合などは、生まれた女の子は、自分は必要とされていなかったという感情が
埋め込まれます。
そして、そのような女の子は、不妊症・不感症・月経痛・早産・妊娠中毒症などの婦人系のトラブルが多く発生いたします。
上記のようなことは、数え切れない程の研究でも証明されています。
皆さま、お腹の中にいるから、、、まだ赤ちゃんだから、、、ではありません。 全て知っています!
心配というのは、負の波動です。 負のエネルギーです。
風邪をひかないだろうか? インフルエンザにならないだろうか? 寒くないだろうか? お腹をこわさないだろうか?
このような心配を子供に対してすることは、負のエネルギーを子供に常に浴びせていることになります。
そうすると、子供は本当に熱を出したり、寒気を感じたり、体調が悪くなります。
そして、母親は言います。 「私が思っていた通りになってしまったの」 まるで、直感が鋭いことが自慢のように。
とんでもない勘違いです。
母親が、負の波動を子供に浴びせ続けた結果が現れただけで、極端な言い方をすれば、ブードゥー教の死の呪いみだいな想念です。
想念という思いの力は巨大です。
ご友人などをお見舞いに行くときなどは、決して負の想念いだかないようにして下さい。
また、子供への過剰な愛情は大きな病を引き起こす引き金になりやすくなるので注意が必要です。
人は死んだら消滅するのではありません。
人の死は、第二の人生の始まりであり、この世の苦痛、束縛から解放され、鳥かごから放たれた小鳥のような自由な世界の扉を開ける
第一歩です。
この世の試練も終了し、新たなる旅たち祝福すべきものなのであり、亡くなった人に対しての悲しみの思いを持ち続けることで、本人の
新しい旅立ちの障害となり、いつまでもこの物質次元にとどまることとなり、俗に言われる浮遊霊(地縛霊)となることもあります。
私たちの死に対する悲しみには、上記のような誤った知識や思いがあるのはもちろんですが、その悲しみの中には私たちの利己心も
潜んでいます。
愛する人の死に直面したとき、、、
あの馴染みの顔、あの笑顔、あの声、あの姿がもう見れなくなり、悲しみに打ちひしがれ、泣き、憐み、悼み、嘆きますが、自分が失った
ものを悲しんでいるのです。
自分を包んでくれていた愛、自分が与えていた愛、その愛を自分が失い、その試練に耐えていかなければならない自分自身の悲しみ
でもあります。
奪われた愛を、自分が嘆き悲しんでいるのです。
もし、亡くなった人、当人の身の上を悲しむのであれば、とんでもない思い違いでありそのことが当人にとっての悲劇ともなりかねません。
愛する人の死を嘆いてはいけません。
愛する者同士は愛は、肉体を脱ぎ捨てた後でも引き離されることはなく、必ず第二の世界で再開することとなります。
亡くなった人のことを考えたり、その人のことが浮かんでくると時は、一緒に過ごした楽しい日々や輝いていた時、幸せだったときのことを
考えるようにすることが大切であり、そうすることで霊界ですごす故人とも霊的に繋がりやすくなり、霊界における向上も促すこととなります。
また、愛する人の死は自分の責任だと思っている人が多くいますが、この世を去った人がそのように思うことは全くありません。
この世での使命が終わったから次なる世界に旅立つだけのことであり、亡くなった人が未練を残すようなことはありません。
まして、人間が人の死をコントロールすることが出来るはずはなく、それに対して責任や罪の意識を感じることが間違っています。
動機は正しくても、人間の病気を治すためであっても、そのために動物を殺したり片輪にすることは、自然の摂理・真理に反しています。
まして、化粧品などのために動物実験を行うことは論外です。
動物の犠牲のもとに開発された薬や治療法は、一時的には人間のために有効に思えても、摂理に反した行為から生じる負の結果が
必ず形を変えて現れます。
動物を犠牲にしても、人間の健康を優先させるという論理は人間の利己的な考えであり、人間のほうが動物より大切な存在であると
いう思い違いをしています。 全ての生き物が共存共栄であることが自然の摂理です。
動物を人間の敵にしている間、動物を虐待している間は、決して人間を含めた自然界に平和は訪れません。
動物実験を行わらければならない立場にいる人は、せめて動物に対する感謝の気持ちを、常に持ち続けてください。
全ての人間の病気には、それなりの自然な治療法が用意されています。
不治の病というものも存在しません。 全ての病気にはそれなりの自然な治療法が存在しています。
何事も、一番大切なのは動機です。
避妊するのが、経済的、健康上、その他そうせざるを得ないと理性・良心・道義心が判断したならば、間違っていません。
人工中絶も動機が重要ですが、避妊と異なり霊が受精卵に宿り、新しい生命が誕生したものを人間に滅ぼす権利はありません。
したがって、人工中絶は動機によりますが罪を作ることとなります。
ただ、過ぎてしまった中絶のことや、やむを得ない理由による中絶に対する罪の意識に縛られることは、何ら人の進化に貢献しません。
その出来事を教訓とし生命の尊さを学ぶ姿勢が大切です。
地縛霊となっている(成仏できない)先祖の霊を救済するのが先祖供養ですから、その霊を救済するためには、愛の想念を送り霊的
真理を聞かせてあげることは最高の先祖供養となります。
したがって、墓参りをしたり、仏壇に毎日手を合わせてお経をあげることが先祖供養ではありません。
成仏している霊は、物理的な墓や仏壇などに興味はありませんし、そのような場所にも存在してません。
ただ、墓や仏壇で手を合わせて、先祖を偲ぶことは良いことでもあり、墓や仏壇で偲んだほうが、あなたの思いが強くなりやすいとい
うことはありますので、それらが不必要というわけではありません。
お盆・お彼岸に必ず先祖霊がお墓に戻ってくるというものでもないので、場所や日時よりも先祖を心から偲ぶ思いのが大切です。
こちらも参考に、
Q:戒名や院号などは本当に必要ですか?
自然界とは、水・空気から植物・動物を含む全ての生物や鉱物であり、人間の一方的な自然界から搾取や、自然を破壊する行為からは
本当の平和は訪れません。
自然界と調和をし、大自然と一体となった生活をとることで真の平和が訪れます。
災害が発生するのは、決して神の罰でも霊の仕打ちでもありませんが、それは人災でもあり、自然の摂理でもあり、因果応報の現れで
もあり、人間が自然界に無用の干渉を続け、負の想念を持ち続ける限り災害はなくなりません。
地球は生きています。
負の想念が人間の細胞に悪影響を与えるように、人間の負の想念(憎しみ・恨みなど)が地球に対して悪影響を与え、異常気象や自然
災害が発生するのは当然のことかと思われます。
人が精神的、肉体的に不健康な状態を続けると皮膚に異常が出るのと同じように、ひとつの生命体である地球に対する物理的損傷や
人間の負の想念がこの地球という生命体に不調和をもたらし、異常気象という症状を呈していることとなります。
人間の生き方が、災害、異常気象、病気、ビールスの発生などとして反映していきます。
事故死の運命論(宿命)と同じですが、災害による死が必ず運命づけられているわけではありませんが、「災害でこの世を去ることになる
かもしれない」という、可能性という運命は存在していました。
人類の進歩があまりにも遅いと、思い切った転換を促すために、時として物理的・精神的なショックを用意される場合もあります。
一般的に、亡くなった人の霊が墓や仏壇などにいるわけではありません。
とくに成仏してこの世に未練などがない霊にとっては、だんだんと墓や仏壇への思いは薄らぎ、いずれ全く興味を示さなくなるのが
普通です。
ただ、亡くなった人の、お墓・仏壇、特定の習慣などに対しての執着や固定概念が強い場合には、いつまでもこだわりを持ち続け、
お墓や仏壇を頻繁に訪れたり、その近くを彷徨ったり、お墓でただ子孫の訪れを待っている霊もいます。
コチラも参考に、
Q:墓参りは、先祖供養という意味で重要ですか? お盆・お彼岸などは必ず墓参りをしたほうがいいのですか?
全ての人は、基本的に寝ている間に体外離脱をして心と身体のリフレッシュをしています。
睡眠が浅かったり、睡眠時間が少ないと体外離脱が十分に出来なため、超意識(霊界)からのエネルギー補充が不完全となり、肉体
維持に必要な生命素が不足することとなり、あらゆる肉体的、精神的障害を引き起こす原因となります。
また、成長ホルモンは睡眠中につくり出され、細胞分裂の速度や蛋白質の合成も睡眠中に最大となります。
だからこそ、ある意味では睡眠は食事以上に重要な要素となります。
食生活が粗食でも十分な睡眠あがあれば健康を保てますが、十分な栄養物を沢山摂取しても睡眠不足(浅い睡眠)であれば健康を維持
することは出来ません。
活力は、呼吸、固形食、流動食、睡眠を通じて身体に流入するものです。
疲労が重なると本来の身体の機能が正常に働かなくなるので、肉体を休息させるために睡眠というものがあります。
睡眠は休息であり、休息が不足するとその代償を身体が支払うこととなりますが、その代償が大きくなると床につくこととなります。
コチラも参考に、
Q:不眠症と体外離脱とは関係があると聞いたのですが?
利己的でなく、私利私欲のない、心からの純心な祈りは、必ず大いなる存在(神など)に届きます。
祈りとは、自分の波動(波長)を高め、まわりに存在する高いエネルギー場に同調させる霊的な行為であり、純真で一途な気持ちを
もち、疑念・恐怖・不信・煩悩を捨て去った状態で祈ることが大切なことであります。
他人のために祈ることが原則ですが、個人的な願い、貧困・苦難・孤独・絶望感・苦しみなどの軽減、や援助、慰安を求めることが
間違っているわけではありませんが、それらの困難や試練に正々堂々と真正面から取り組み、最大限の努力をし、それでも力が及ば
ないと悟ったときに、その時にこそ祈る資格をもつこととなります。
どれだけ祈っても、あたなの心の成長にはならない場合や、手にするだけの十分な努力が行われていない場合には、その願いは叶え
られません。
祈りは、義務を回避するものでもなく、責任を逃れるものでもなく、為すべき仕事の代用ともなりません。
般若心経が良いだの、マントラを唱えると良いだの、何かの経典が良いだの、祈る言葉に優越は一切なく、祈る場所での優越なども
存在しません。 自分の思う言葉で祈り、自分が祈りやすい場所で祈ることが大切です
祈る人の魂(精神や心)の姿勢が一番大切なことです。
神社・教会・その他どのような宗教的建物であろうと、そのような人間的な構造物に囚われてはなりません。
また、声にだして祈るほうが自分自身への声の波動としても伝わるし、念じるだけではとかく乱れやすい自分の思念や思いなどを、
明確にまとめ具象化することとなりますので、声にだして祈ることもよいでしょう。
コチラも参考に、
Q:神社仏閣などへは、出来るだけお参りをしたほうが良いのですか? 願いが叶うこともあるのですか?
ほとんど全ての人が、毎晩、必ず睡眠中(レム睡眠中)に体外離脱を行なっております。
体外離脱をしている時の経験を覚えていないのは、霊的な次元での意識を、物体的な次元での意識へ変換することが出来ないか
ら、記憶に残らないのです。
一部の霊能者などは、その変換が出来るので、その時の経験を持ち帰ることが出来ます。
全ての人に言えることですが、もし体外離脱中に物的肉体に危険・恐怖・不安などを感じると、すぐさま魂(超意識・潜在意識)は、
肉体に戻ってしまいます。
つまり、恐怖・不安などがあると、魂(超意識・潜在意識)は体外離脱が出来ないのです。
不眠症というのは、恐怖・不安・不幸・悩み、その他極度な興奮があるため、物的肉体から魂(超意識・潜在意識)を手放すことが
出来ない状態にあるために、体外離脱。が困難となります。
私たちは、つねに星、惑星、太陽、月などの影響を受けながら生活しています。
それは、私たち人間だけではなく、全ての生物や鉱物までもが、宇宙の影響を受けながら進化の道を歩んでいます。
新月の時は、一般的にエネルギーが減少するため、体調に不良を感じることも多く、気力も持続せず精神的にも落ち込みやすくな
ります。
満月の時は、十分なエネルギーがあり、とても行動的になりますが、落ち着きがなくなり攻撃的になり、それらが暴力や犯罪などに
発展することもあるので、注意が必要です。
満月の頃には、魚は群れて水面近くにあがり、蜂蜜があふれ、馬は気力に満ちつやがよく、毒蛇はより強力な毒素をもち、肉食動物
は攻撃的になります。
植物の種をまく時や、苗を植えるときは、上弦の月の頃に植えると丈夫でエネルギーのある植物に成長します。、
また、新月に生まれた子は、心身ともにあまり強くない子が多く、満月に生まれる子は心身ともに強い子が多いようです。
人はどんなに物質的な金銭や名声を得ても、本当に満足できる幸せを永続的に受けることが出来ません。
何か、足りなさ、せつなさ、空しさ、満たされないものを感じるのもです。
人が生きてる証、喜び、満足、充実を得ることが出来るのは、自分が人の役に立っていると感じる時です。
たとえ、少しでも、どのようなことでも、今までの体験を活かし、人のために自分を役立てて下さい。
人のことを少しでも理解するよう心がけ、親切にしてあげてください。
人のために自分を役立てる人には、その内容が自然の摂理に合致し、当を得たもので、謙虚で真摯な思いであるならば、決して生活に
不自由することはなく基本的に必要とするものは必ず与えられます。
日常の仕事のなかで様々な形で援助を受け、別の分野で人のために役立てられるように導かれれています。
人助けをしたい、人のために自分を役立てたいという心がけをしている人には、そのチャンスが必ずやってきます。
そして、親切にした行為や人を助けた行為は全て記録され、死後、助けられた人から必ずお礼を言われることとなります。
大切なことは、無理に人を助けようとすることではなく、まずは、自分が人の重荷になっていないかを顧みることであり、人へ負担をかけて
いないのであれば、それは既に人助けともなっています。
人の役に立つこに熱心になっている方がおりますが、まずは、自分自身が人に迷惑や重荷を背負わしてないかを顧みることが必要です。
また、人助けをするためには時間や労力などが必要となりますが、あなたの人生が人助けのための犠牲となってはいけません。
そして、人助けをしたことで、助けた相手の未来がどうなろうと、あなたに責任はありません。
あまり考え過ぎず、善なることを心から行うのであれば、どのようなことでも実行して下さい。
人に与えたものは全て自分自身に与えることになります。
祈っている人の心が一つになり、全ての人が魂の奥から祈っている時は、強い思念が霊力を生みだし、大いなる存在へ向けて
その祈りが届けられます。
ただし、機械的な祈り、型にはまった口先だけの読経では、全く意味をもちません。
また、集団による祈りには難しい一面もあり、一緒に祈っている人の声により気が散漫になったり、祈る人が魂の奥から祈るという
より、全体の雰囲気にただ引き込まれていることもあります。
したがって、集団で祈る場合には、よほどの目的と必要性をもって、全員が全身全霊を込めて祈ることが大切です。
基本的に治ります。
食物アレルギーが起きる原因を考えると、
1.肉体的な遺伝体質
2.カルマが原因と思われるアレルギー
3.心の感情が原因によるアレルギー
4.心身が健康的でないことが原因となるアレルギー
5.上記1から4の複合的な要素が原因となるアレルギー
などがアレルギーの原因ですが、いずれの場合でも、体内に特定の食物と不要な生化学反応を起こしてしまう不正物質が、体内に
存在するためアレルギー反応となるのであり、本来の心身ともに健康体な人には、そのような不正物質は存在しません。
つまり、食物に原因があるのではなく、摂取する人間に問題があるので、食事内容を変えなくてもアレルギーを治すこともできます。
パワースポットというのは本当に存在します。
パワースポットのパワーとは、一種の波動と考えてください。
あらゆる物質(自然界)は、波動から成り立っており、その場所に応じた波動を持っていますが、その波動が強い場所が、パワースポット
と呼ばれる場所です。
神社、古代遺跡、大自然、特定の土地、これらの場所の一部には、強い波動を放っていることがありますが、そのような波動の強い場所
では超能力や霊能力のような力が現れやすくなりますが、だれもがパワーを得られるわけではありません。
場所が変わると、その人の持つ能力が発揮できない超能者や霊能者は、その能力の源が、その土地の放つ波動パワーを受けることで、
その能力を享受していることがあります。
ある意味では、神社などの波動の強い場所にある樹木の成長が、波動の高さを示してくれています。
また、パワースポットにある霊水や聖水などにもある種の強い波動が含まれています。
今まで信じていた宗教を変えて、他の宗教などを信じることには何ら問題がありませんが、変えた宗教の形式・儀式・習慣などを先祖や
祖先にまで適用することには注意が必要です。
とくに先祖供養・祖先信仰の習慣が強い日本においては、その宗教の習慣に強い思いをもつ霊(不成仏霊も含めて)がおり、それらの
霊に全く異なるた宗教の形式・儀式・習慣などを押し付けることを不愉快に思い、援助が得られなくなるだけでなく、子孫に霊障となって
現れる場合もあります。
自分が信じる宗教を大切にするのは結構ですが、今までの習慣を顧みず、ただ排斥するのは好ましくありません。
先祖供養をするために、改宗により信じている祝詞や経文を唱えたり、讃美歌などで唱えてもその思いは先祖まで伝わるはずもなく、か
えってあべこべの結果を生むことにもなりかねません。
改宗により全ての風習や習慣などを変える人が多く、そのような人には何らかの不幸なことが多く発生するケースは多々あります。
特に戒めるべきことは、いくら改宗により不要になっても、仏壇・位牌などを粗末に扱ったり、やみくもの処分することは大きな償いを伴う
ことにもなります。
ピラミッドは王家の墓と言われていますが、本来の目的は墓ではなく、エネルギー(波動)に関わる何らかの目的で建造された
構造物であると思われます。
もちろん、ピラミッドには不思議なパワーが秘められています。
中央アメリカやメキシコには、ジャングルに覆われているためにいまだに発見されていない無数のピラミッドが存在するようです。
健康な状態とは、人間の身体を構成する要素や、人間に影響を与える外部からの要素や力が、ダイナミックに調和を保ち、平衡状態に
あることが健康な状態ということができます。
常に健康な状態であることは、不可能なことであり、私たちは常に内部及び外部からあらゆるストレスに応えながら、絶妙のバランスを
保ちながら、相対的に健康な状態と、相対的に病気の状態を繰り返しています。
相対的に病気な状態とは、床に臥す・入院する・医者に行くとい意味ではなく、頭痛・倦怠感・一時的不眠・一時的消化異常などでも
相対的病気といえます。
人は常に、ウイルス・バクテリア・発がん物質・アレルゲン・毒性昆虫や植物・化学物質などからの攻撃を受けているが、相対的に健康
で、自然治癒力能力の高い人は、めったなことでは発病しません。
しかし、相対的に病気の状態にある期間は、そのような攻撃に対する抵抗力が下がるので注意が必要です。
また、常に健康でいるためには、自分の持つ身体の弱点を知ることがとても大切です。
間もなく健康状態が崩れる警告として、弱い部分にストレスを示してくれるので、その信号に早めに気づくことで、バランスの回復をする
チャンスとなります。
UFOは、私自身も2度ほど見ております。
一度は、夕暮れ時、アメリカで私の友人と二人で約5分間という長時間にわたって、円盤が想像を超えた動きをしていました。
二度目は、昼間、日本で数秒間、窓まで分かるような巨大なUFOを見ました。
どうも、私達は、無意識のうちに、自分達が宇宙や自然の中心のように考えているようですが、宇宙人から見ると私達地球人はみな
宇宙人です。
宇宙人というと、ETや映画のような宇宙人を想像しますが、あのような物質的な形のある宇宙人もいますが、まったく形をもたない
意識体で生活をしている宇宙人もいます。
形をもつ宇宙人は、住む星の成分で構成されているので、全く同じ成分で構成されている宇宙人はいません。
私たちと全く異なる成分で構成されている宇宙人や、意識体としての存在する宇宙人は、当然、私たちからは見ることは出来ません。
したがって、私たち地球人から見えない宇宙人が大多数となります。
進化という意味では、物質的な形のない宇宙人のほうが進化しているといえます。
乗り物に関しても、UFOに乗る人や、物質的な乗り物には乗らず、霊界と同じように想念で瞬時に移動する宇宙人もいます。
基本的にUFOは私たちの世界とは波動(波長や次元)が異なりますので、見ることは出来ませんが、UFOがある意図をもって私たちで
も見えるように波長を落とした時に見ることが出来ます。
地球と同じ環境でしか生命が存在しないと思うのは、私たちの自惚れでもあります。
地球外生命は、地球と同じような環境の惑星などにも存在しますが、全く環境の異なる惑星や恒星
この物質界で生活している間は、どうしても物質的なことである、あらゆる欲に引き付けられてしまいます。
物質的な欲には、限界がなく、それで満足や幸福感を得続けることは不可能で物質欲という魔物の奴隷となり、世俗的なものを求める
ことが不幸の原因となっています。
それよりも、今の自分に授けられたものに感謝しながら日々を過ごすことは、人生を充実させて、心の平穏を与えてくれます。
惰性や堕落的に生きるという意味ではなく、今日に生きること、そして今に生きることが大切なことであり、明日のことは明日にまかせ、
やれることだけして、後は天におまかせしたら、どんなに気が楽でストレスのない人生が送れることでしょうか。
ただ、これで満足という気持ちは、真の魂(心)の成長にとって、後ろ向きの消極的な幸福となってしまう場合もあるので注意が必要です。
過去を振り返ることは、未来へ向上するための刺激剤ていどのものであり、たいした価値はなく、つねに、未来に向かい一層の向上と
希望を求めることが、魂と心の成長にとって大切なことであります。
期限の切れたお守りやおふだ、不要になった数珠、改宗によって不要になった経典、宗教団体などからもらった経典などの処分にも頭
を悩ますこともあるかと思います。
今までお世話になった感謝の気持ちをもって、購入した神社や団体にお返しするのもよし、焼くのもよし、土中に埋めるのもよし、あなた
が思うように処分してもかまいません。
ただ、安易にゴミ箱に捨てたり、そのものを恨んだり、粗末に扱うことはどうかと思います。
正しい心霊的知識を得たならば、何ら恐れることも心配することもございません。
北大西洋の海域であるフロリダ、プエルトリコ、バミューダ島を結ぶ線で囲まれた三角地帯のことをバミューダ・トライアングルと呼んで
いますが、この地帯では船舶・飛行機などがこつ然と姿を消す失踪事件が多発していることは事実です。
1945年12月アメリカ フロリダを2時間の訓練のため海軍所属の爆撃機6機が飛び立ち、14名の乗員とともに不可解な失踪をした。
日中、晴天、穏やかな風、理想的な飛行日和、ベテランぞろいのパイロット、異常事態が発生する気配さえなかったのに。
最後に意味不明の通信を最後に、
「コースをはずれたらしい、、、陸地が見えない、、、どこにいるのか分からない、、、迷ったらしい、、、どっちが西なのかも分からない、、、
奇妙だ、、、何もかもおかしい、、、方角がさっぱりわからない、、、海の様子も、いつもと違う、、、」
基地では非常事態として救助の飛行艇が13人の乗員を乗せて飛び立ったが、その飛行艇も失踪しています。
史上未曽有の大規模な捜索が行われ、航空機240機、空母艦載機67機、駆逐艦、潜水艦、沿岸警備隊、調査船、救助船、ヨット、
ボート数百隻、民間機、バハマ諸島のイギリス海軍・空軍までが出動したにもかかわらず、何一つ発見されなかった。
空中捜索時間は4100時間にも及んだが、救命いかだ1個、残骸1個、油一滴さえ見つからず、残骸を求めて数週間にわたりフロリダ・
バハマ諸島の浜辺が毎日チェックされたが、何一つ見つかることはなかった。
戦後、1945年〜1975年 の間だけでも船舶67隻、航空機192機、乗員乗客約1700人が手掛かり無く失踪しています。
この地帯での失踪事件では、その船舶・飛行機などの生存者はもちろんのこと残骸なども一切発見されることなく、説明のつかないこ
とばかりが発生しています。
突然の失踪ではないが、パミューダー・トライアングルにおける謎の現象も多く発生しています。
実例1
マイアミ行ナショナル航空が魔の海域を通過中、マイアミ空港の管制レーダーから突然10分間にわたって姿を消し、マイアミ空港では
緊急体制がとられていたが、10分後にレーダーに現れ無事にマイアミ空港に着陸しましたが、着陸後、何と、乗務員・乗客の所有する
時計が全て10分遅れていました。
実例2
アメリカ海洋大気局の気象観測衛星 ノア1号、2号、3号がこの地域上空にさしかかるたびに限って障害が発生する。
実例3
NASA(アメリカ航空宇宙局)の海洋調査衛星シーサットによる精密測量により作成された海面高度分布図で、なんと、バミューダー島の
西南付近の海面に、直径40Kmにわたる楕円形状をしたあ海面の凹み(へこみ)が存在していることが発見されました。
このバミューダ・トライアングルに限らず地球上には同じような場所が12カ所ほど存在しているようで、日本においても危険区域が存在し
伊豆諸島から小笠原諸島にかけての水域では、謎の失踪事件が多発しており日本政府も危険地帯としています。
いずれにしても、ある特定の地域において通常の次元とは異なる次元が存在することは間違いないように思われます。
まず、大前提として、以下を理解してください。
人が病気にならずに健康でいるためには、その人の体が、
1.ホメオスタシス(恒常性維持機能)が正常に働いている
2.免疫システムが正常に働いている
3.自然治癒力が正常に働いている
この3つの要素が正常に働いていれば、その人は病気になりません。 本来、人間は病気をしないようにできているのです。
だだ、上記の3つの要素が正常に働かなくなる時は、
1.ストレス 2.不健康、不自然な食生活 (有害物質の体内蓄積なども)
3.過労など 休養の不十分 4.運動不足
したがって、健康になる方法は、
1.健全で安定した精神状態(心)、2.健全な食生活、3.十分な休養、4.適度な運動
これらの4つの健康要素があれば、体内に蓄積された有害物質なども排泄することが出来ます。
かつ重要なことは、4つの健康要素が体に及ぼす影響の比率は、心:4 食:2 休養:2 運動:2 となります。
このように心が健康に及ぼす影響はとても大きいのですが、全て病気の原因が心の持ち方だけではありません。
十分な休息、適度な運動(激しい運動は必要ありません)、健全な食生活にも心がけて下さい。
コチラも参考に Q:健康のためには、どのような運動が適切ですか?
上記のことは、この物質界的な見方での病気の原因ですが、本質的には、霊と心(精神)と身体が調和していれば健康でいるこ
とが出来ます。
病気になるのは、ストレスや心労はもちろんのこと、利己心や邪心や強欲が生み出す不自然な緊張が不調和を生みこととなり、
身体への病気として現れることとなります。
まれに、心の持ち方がとても悪いのに、身体はとても丈夫で頑丈な人もみかけますが、それも時間の問題であり、心との不調和が
生み出される病からは逃げることは出来ません。
まず、大きな困難にぶつかった時は、その時にあなたができる最善を尽くし続けることが最も大切なことです。
心配してもな何も変わりません。 ただただ、最善を尽くすだけです。
以下、励ましの言葉ですが、あなたにとって、しっくりいく、受けやすい、感じやすい言葉を選び、困難にぶつかった時の自分への
励ましの言葉として下さい。
1.乗り越えることが出来るから、あなたに与えられたのです。 乗り越えることが出来ないことは与えられません。
2.自分の力で解決できないほどの問題に、直面させられることは決してありません。
3.あなたは1人ではありません。 あなたの誕生から死ぬまで、あなたの守護霊は無限の愛であなたを見守り援助しています。
4.あなたの行く先に暗雲が押し寄せても、それは、太陽を一時的に遮った、ただの雲です。
5.あなたの前途に影がよぎっても、それはただの影です。 実在ではありません。
6.重すぎて背負えないぐらいの荷物は決して与えられません。
7.あなたが経験する全てのことは意味があり目的があります。 不必要な出来事は発生しません。
8.霧のように先がぼやけて見えなくなった時は、いったん足を止めてください。 ただの霧ですから、そのうち晴れてあなたの
辿る道が見えてきます。
9.決して罰というものは存在しません。 あなたが罰だと思ったら解決方法はなくなります。
10.人生において被害者は存在しません。 あなたが被害者を創造するから存在するように見えるだけです。
11.問題を解決しないで、または問題を回避しても、その問題を乗り越えるまでは、必ず同じ問題に当たります。
12.長く生きることが人生の目的ではありません。 時間的な長さではなく、あなたに与えられた経験をやりとげることが目的です。
13.ドアのノックしても開かない時、軽く押しても開かな時は、無理にこじ開けてはいけません。
また、祈ることは、きっとあなたの困難を乗り切る力になってくれます。
もし祈るときは、
神(大いなる存在・超意識・潜在意識)や守護霊などに向かって、 「この困難を取り去って下さい! 楽にして下さい!」
ではなくて、 「この困難を乗り越える、「勇気と力」を与えてください!」 と祈って下さい。
そして、スピリチュアルな生き方の言葉として、
「神は私の父です。 自然は私の母です。 宇宙は私の道です。 心は私の家です。 真理は私の崇拝するところです。
愛は私の法律です。 良心は私の導き手です。 平和は私の隠れ家です。 経験は私の学校です。 喜びは私の讃美歌です。」
アカシックレコード(アーカシックレコード)とは、宇宙及び地球に関する、あらゆる情報・知識が記録されている図書館のような場所で
情報・知識の集合体意識層のようなものとされています。 記録の殿堂などとも呼ばれます。
このアカシックレコード層には、宇宙や地球に関するありとあらゆる情報(宇宙や地球の誕生から進化までの全ての記録)、私達が知
らない人類の歴史、世界中の全ての個人の情報、自然現象の全ての記録、全ての書物の記録、過去から現在そして未来までも含む
科学などのあらゆる知識や情報が記録されています。
そして、必要に応じて新たな記録追加・修正・検索・閲覧などをすることが出来ます。
もちろん、あなたの生涯、全ての思ったこと、言ったこと、行いも、アカシックレコードに記録されています。
そのアカシックレコードがある場所とは、特定の場所にあるのではなく、全ての空間に存在し、原子の中にも存在しています。
ただ、いくら優秀な霊能者や超能力者でも、直接アカシックレコードへのアクセスをすることは不可能です。
必ず、ハイアーセルフ(守護霊・指導霊)や他の超意識的存在(霊魂界)などの許可と媒介を通して、必要と思われるほんの一握りの知識や
情報がもたされます。
したがって、様々な要因の結果として、アカシックレコードから間接的に何かの情報などを得ることがあるかもしれませんが、自ら直接的に
アカシックレコードにアクセスすることは不可能なことです。
ハイチなどにおけるヴードゥー教の呪いを受けた人のほとんどは、床に臥し、食事もとれず、家族や友人とも会いたがらず、呪われたことが
分かってから、2週間以内ぐらいで死に至ることが多くあります。
魔術医(呪術者)は、攻撃的で邪悪な負の想念を相手に送り続けることで、まず相手の心身を弱体化し、さらに呪われたことを相手に意識
させることで、相手の気持ちを絶望的にすることで負の想念を強く意識させ、心身を弱体化し死へと導いていきます。
つまり、「自分が呪われた」という思いによる一種のプラシーボ効果が、呪いの力を増幅することとなります。
魔術医から受ける負の想念の影響力は人により大きく異なり、受ける人が持っている負の想念に応じたものを受け、残りの負の想念は
オーラにより跳ね返され、何倍にも強くなり放射した本人へ戻ってきます。
藁人形そのものに呪う力があるのではなく、相手を傷つけることに精神を集中させるための道具として藁人形を用い、釘を打ちつけるなど
の行為により、意念を集中・増幅させますし、その意念が相手のチャクラを経由して身体を傷つけます。
人形に髪の毛を詰め込むと、相手の胃の中に髪の毛が物質化し、それが不快感や苦痛・病気などを引き起こすことになります。
ブゥードー教を信じる人の間では、魂を持たない肉体、ゾンビの存在を信じていますが、ゾンビは邪悪な霊が死んだ肉体に宿って行動する
と思われます。
また、ブゥードーでは毒殺の話が多くありますが、その毒殺の材料として馬の尻尾の毛が用いられています。
剛毛な馬のしっぽの毛を細かく刻み、食べ物に混ぜて人に食べさせます。
細かく刻んだ毛が内臓を針のように刺し、炎症を起こし、組織に穴をあけることになり、激しい嘔吐と痛みを伴い死にいたるようです。
ブゥードーでも黒魔術などにおいても、その思念(想念)を強めるために儀式や特定対象物などを利用し、集中力を高め邪悪なエネルギー
となりますが、本来邪悪なエネルギー(想念)というものは存在しません。
邪悪なエネルギーではなく、本来の想念(エネルギー)の利用のしかたを誤って使っているだけなのです。
最先端の量子物理学では、物質の根源である原子や光は常に振動していることが証明されていますが、その原子などの物質そのもの
が振動しているのではなく、物質そのものが波動エネルギーの一つの表現形態としての顕現であるとしています。
また、量子物理学から解釈、帰結として、
「全ての現実は、選択という思考の結果である」 「全ての根源は、時間と空間を越えて繋がりあっている」
まるで、スピリチュアルであり、「思いが(想念が)、現実となる」 「思い(想念)は時空を超えて伝わる」 そのものであります。
人間の意識の90%以上は意識することができない潜在意識でありますが、宇宙物理学による最新の観測結果によると、宇宙に存在
する90%以上のものは見ることが出来ない正体不明なもので構成されていることが発見されました。
いよいよ、物理学を含む現代科学が、大きな試練を迎えることとなる時代に突入したようですね。
10:ピラミッド 宇宙人 UFO アセンション アカシックレコード 涙(血)を流す石像 腐敗しない遺体
ヴードゥー教 アトランティス大陸 レムリア大陸 バミューダ・トライアングル
基本的に激しい運動は不要であり、かえって身体を痛めることにもなりかねません。
若い時にスポーツで身体を酷使した人は、後年に障害をもつこととなる人は少なくありません。
最も適切な運動は、歩くことです。
歩くことは、体の全神経・細胞・筋肉・関節・内蔵器官に大きな負担をかけない運動であり、左右の腕・足を交互に前進する運動は中枢
神経にも大きな活性力をあたえることとなります。
テニス・ゴルフ・野球・サッカーなどのスポーツでは、身体の特定の部位に大きな負担をかけることが多いので、あまり薦められません。
歩くにあたっての注意事項など、、、
1.30分〜1時間程度 歩くこと。
2.自然のある環境で歩くと、心のリフレッシュにもなり、心の喜びが細胞にも活性化をもたらす。
3.無理をしないこと。 (歩くことが、負担にならないように)
4.歩くのに適した靴を履くこと。
5.楽しみながら歩く。 (つらい、苦しいようなウォーキングとならないように)
ジョギングなどをする場合には、関節に負担がかかる場合があるので、ゆっくりとするように。
また、水泳なども身体への局部負担が少なく、とても適切な運動ですが、プールの消毒などに使われる各種の化学薬品には要注意。
イエス・キリストは実在したひとりの人間であり、自然の法則に従ってこの物質界へ生まれ、去っていきました。
物理的心霊現象及び精神的心霊現象に精通した預言者であり大霊能者でありました。
だから、病気を心霊治療により癒し、憑依霊を取り除き、奇跡を起こし、霊の威力をみせつけ、物質中心的な民衆の生き方の間違いを、
霊的な生き方へ導くことに人生を捧げました。
キリストは、火の中を歩いたり、水の上でも歩くことができましたが、弟子のペトロの波動を高めてペトロを水の上を歩かせることもできま
したが、ペトロが信じる思いに揺らぎがでると、水に沈んでしまったそうです。
イエス・キリストは、偉大な模範的人間であり、偉大な師であり、人間でありながら神のごとき存在、それがイエス・キリストです。
同じように人間でありながら神のような存在であったのが、釈迦であり、マホメットです。
イエス・キリストは人類全体のために現れたのではなく、西欧世界のための使命をもって地上に生まれました。
あまりにも強い、間違った信仰心や信念は、その思いがつくる思想的牢獄となってしまい、キリスト教徒の場合には、最後の審判の日、
大天使ガブリエルのラッパ聞こえるまで、何百年でも墓で待ちつづける地縛霊が多くいます。
身体に良いものは、生きている食べ物でもある、野菜・穀物・果物・魚であり、太陽のエネルギーで育ち、熟する食べ物である野菜、
穀物、フルーツなどでありますが、それらは霊的にも優れています。
ただ、野菜・穀物・果物・魚ならなんでも優れいるという訳ではありません。
一番良いのは、自分の地元で季節ごとに採れた食物をいただくことが原則であり、その食物にはその地で暮らす人にとって十分に
必要な栄養が含まれています。
それ以外の物は、どちらでもない、、、あまり良くない、、、もしくは悪い食べ物です。
とくにあまり好ましくない食物は、
1.お肉 (どうしても食べたい時は鶏肉のささみの部分、脂身はよくない)
2.乳製品 (牛乳・バター・チーズ・ヨーグルトなど、全ての乳製品)
3.ジャンクフード (ハンバーガー・菓子類など)
4.天然果汁100%でない、全てのジュース類・炭酸飲料
5.コーヒー・紅茶 (緑茶はまあまあ)
6.お酒・タバコ (お酒は少量なら身体に良いと言われていますが、別に飲まなくてもよい)
あまり身体に良くない食べ物と分かっていても、食べる時も多いかと思いますが、そのような場合には、感謝の気持ちで食べるように
して下さい。
人間を含めた全ての生き物には、食べるものに合った適切な歯を持っています。
肉食獣は肉を食べるのに適した犬歯のように尖った歯をもっており、馬や牛などの草食動物には犬歯がなく、草などを食べるに都合の
よい門歯が発達しています。
肉食獣は基本的に植物を食べる草食動物を襲い、腸などの内臓部分をまず食べますが、なぜなら、腸に残っている草などの植物成分
がほしいからなのです。 肉食動物でも野菜が必要なのです。
野菜に限らず全ての食べ物は、可能な範囲で火を用いずに食べることをお勧めします。 人間以外に火を通して食べる動物は存在
しません。
人間には、肉などを食べるのに好都合な犬歯は上下4本しかなく、他の28本は歯は穀物や植物を食べるのに適した形状をしている
ことを考えれば、本来摂取すべき食物はおのずと理解できると思います。
また、私たちは食べ過ぎです。 野生動物に食べ過ぎは存在しません。 食べ過ぎはあらゆる病を引き起こします。
野生動物に肉の霜降りは存在しません。 霜降りは人間が作り出した動物の肥満脂肪であり、自然でないものを食べれば自然に
治るものも治らなくなります。
コチラも参考に、
Q:健康のために、肉食は止めるべきですか?
人類は多くの自然現象の仕組みを発見し、物質的な発展を遂げてきましたが、それに伴わなければならないはずの霊的・精神的な発展が
置き去りにされてしましました。
そのことが、利己主義を生む土壌となり、その利己主義が憎しみ、恨み、悲しみ、混沌、無秩序、不協和、悲劇、戦争を生むこととなってし
まいました。
霊的・精神的な進歩発達は、利己主義を滅ぼします。
決して進化発展する物質文明は悪ではなく、その物質文明の産物を自分のためだけでなく、家族のためだけでなく、国家のためだけでは
なく、困っている人のために活用するようになれば、この地上にも天国が訪れます。
ごく一部の人がその産物を蓄えるから貧困が生まれます。
戦争に勝つために、人類は原子力エネルギーを発見し利用してしまいました。
まだ、人類の霊的・精神的成長がその扱い方の時期に達していないのに、戦争の勝利のためにそのエネルギーを利用してしまいました。
原子力には、平和利用といえども、益と害があるのに害の部分には目をつむり、その利益だけを享受してきました。
その利益を優先した一方的享受は自然の摂理に反しています。 必ずその代価を払わなければなりません。
人間が霊的に精神的にさらなる成長をし、原子力エネルギーを正しく扱える段階まで進化していれば、その扱い方を間違えることもなく
利用できたかと思います。
原子力エネルギーを手落ちなく利用できるようになるためには、まだ200年以上の年月が必要なようです。
今後どのような発明・発見がされようとも、どのような地球環境や事態が発生しようとも、自然の摂理によって、地球が破壊されることは
ありません。
科学者、物事にも限界が設けられております。
新興宗教を信じ信仰することで病気が治ることもあります。
それは、集団による祈りの力であったり、同質の一部の霊が治癒力エネルギーを授けることにより治るっこともありますが、、必ず治癒
するわけではありません。
人はとかく自分がかかわった組織や団体にのみ、不思議な力や霊力が顕現しているように錯覚しますが、霊力はどのような団体で
あれ、個人であれ独占することは許されておらず、人間から自由に操れる力でもありません。
どのような宗教であれ、新興宗教には一種の成仏できない宗教霊が沢山存在し、いまだに強い思いを持ってこの世の信者と一緒に
なって祈りをあげたり、宗教施設や集会場などに彷徨っています。
新興宗教の祈りがもたらす精神統一状態は、宗教霊の働きかけもかさなり、信者に一種の麻薬的な陶酔状態をもたらすこととなります。
それが、お祈りの魔力であり新興宗教の魔力でもあります。
あまりにも頑迷な信仰を持ちすぎると、死後、宗教霊となり成仏できない霊となることもありますので、自覚と認識が必要です。
12:幸せ 今に満足する 困難を乗り越える 使命 癌を克服 愛する人の死 物質文明 量子物理学とスピリチュアル
奉仕 その他の質問
日本でも、戦前までは都市部を除きほとんどが土葬で、今でも一部では土葬をしています。
海外においても、イスラム圏、キリスト圏は土葬が基本なのでほとんどの国が土葬をしていることとなりますが、海外において土葬をする
のは宗教的な意味合いで行われております。
人間はあまりにも肉体に執着するので、その執着を消すためにも、また衛生的にも火葬にするほうが良いと思われます。
亡くなった肉体に執着があると、残された者にいたずらに悲しみや寂しさを誘うこととなり、また亡くなった霊もその遺族の思いに引かれて
土葬された墓地を徘徊することとなってしまうこともあります。
また、死体に付着した一種の想念的な執着や煩悩が、低級霊を引き寄せることもあるので、死後、霊が肉体から分離するまでの時間は
その霊の霊的進化の段階により異なりますが、長いもので完全に離脱するまでに3日程度かかる場合もあるので、火葬するまでに3日
ほどは時間を置く必要はあります。
山、川、湖などその土地を護りその進化を助けている精霊などの自然霊を氏神様とよんでいます。
自然霊であるので、人の霊である人霊とは異なる進化の道を歩んでいますが、人霊と協調しあいながら人類の進化に影響を与えています。
このように土地を護って下さっている自然霊に対して感謝の気持ちを忘れないようにして下さい。
輪廻転生 無料でご奉仕 霊能者 潜在意識
9:神社・仏閣 氏神 宗教 キリスト お墓 火葬・土葬 祈り お経 戒名・院号 先祖供養
お盆・お彼岸 パワーストーン おふだ お守り 数珠 印鑑 パワースポット 改宗
よくある質問 Q&A スピリチュアル カウンセリング
2012年ごろに、地球の波動の上昇というものが発生することは事実のようです。
ただ、それが原因で、地球規模で何か大きな出来事がその時に起きるようなことはありません。
フォトン・ベルトが私達人類を含む地球や、他の惑星に波動としての影響を与えることは事実のようですが、フォトン・ベルトがアセン
ションの主役であったり、地球外生命体がこの地球を救う中心的役割を果すなど、他力本願的なことは一切おきません。
人類を含む全ての物質は波動から成り立っていますので、波動が上昇すれば、それにともない波動の共鳴、増幅、干渉などが発生
し、人類にとっても心身への影響が発生します。
日本に限らず、世界にはあらゆるお経(祈りの言葉など)がありますが、お経の違いによる優越などは存在しません。
また、特別の言葉(マントラなど)やお経に大きな力が宿っていることもありません。
お経というと般若心経が有名ですが、もちろん般若心経が特に優れているわけでもなく、般若心経より優れているお経があるわけでも
なく、自分が考えた言葉でもかまいません。
真摯な気持ちで、心の底から祈ることが大切です。
写経をすることで、人が幸せになるわけでもありませんし、お経を唱えたら人が救われるなど、お経自体が人を救うことはありませんし。
たとえお経を100万回唱えても何ら効果はありませんし、100万回のお経よりも、一回の真摯なる善行がその人への善なるカルマへの
応報となります。
お経というと、宗教と結びついていることが多いかと思いますが、「宗教とは言葉ではなく、行動です」
コチラも参考に、
Q:心から祈れば、願いが叶いますか? どんな言葉を祈るのが、一番よいですか? 何処で祈るのがよいですか? 、
癌を克服するためには、癌と闘うという気持ちを持つことは、必ずしも良い結果を生むとは限りません。
癌と闘う、癌細胞を殺すなど、闘う・殺すという思いは負の波動であり、負の想念であり、自然の摂理に反しています。
癌になった理由を自分自身に問いかけて、探してみて下さい。 必ず癌になった理由があります。
癌はもともとはあなたの身体の一部あり、あなたが間違った生き方が原因で癌になってしまったのです。
そのことに詫び、その生き方を改めることで自然治癒力を高めて癌から回復することができます。
癌そのものを憎き敵とみなし、排除することばかり考えるのではなく、自分の大切な一部でもある癌を愛し、ともに生きるという気持ちが
癌を克服する大きな原動力となります。
癌に限らず、病気やケガは痛みながら治るものであり、痛みそのものを憎んではいけません。
いままでのこだわりなどを一切捨て、根本的に生き方を見直し、ゆったりとした気持ちで自分自身と向き合い、生きる意志をはっきりもつ
ことが大切です。
癌は典型的な心の病気であり、霊的不調和が存在していることを意味していますので、霊的治療によりその不調和を改善することで劇的
に癌が消滅することも多々あります。
コチラも参考にして下さい。
Q:自分のしたいことをしていたら、病気にならないって本当ですか?
まず考えていただきたいのは、なぜ、神社仏閣へお参りするのでしょうか?
ほとんどの方が、自分及び自分の身内の健康や頼みごとなどをお願いすれば、叶えてくれそうな気がするのでお参りをしたり、
観光名所の一つの場所や、パワースポットとして訪れるのではないでしょうか。
神社仏閣が存在するその地には、それを見守っている意識存在(神・意識体など)の影響で、大きな波動エネルギーが存在します。
ただ、個人の利益に関するお願いごとは、全く叶えてくれないと思って下さい。
(そのような時間があるなら、あなたの守護霊やご先祖様にお願いしたほうが少しは効果があると思います)
ただ、私利私欲でなく、他人のために尽くすお願いなどには、大いなるお力をいただくことが出来ます。
また、神社などでの厄払い、祈祷などは何ら意味もなく、ましてや、1年という有効期間のお守り・お札などを神はどう思うでしょうか。
おふだ、お守り、数珠、水晶、魔よけや幸運グッズには、結婚相手をみつける、商売を繁盛させる、試験に合格させる、病気やケガを
防ぐなどのような、そんな力は存在していません。
あなたの幸せや人生は、全てあなたの思い・言動・行動が導くものであり、物質的な物が人を幸福に導くことは出来ません。
お金を持っている人が、高価な物質的な幸運グッズを持っている人が幸せになれるのですか?
天は、神は、そのような世界をお作りになったと思われますか?
神社仏閣でお願いをしても、祈祷しても、お祓いをしても、祝詞をあげても、あなたやあなたの身内の利益にからむ願いには、霊界は
全く興味をしめしません。
考えてもみて下さい。
祈祷やお祓いをしてもらう余裕のない人は、幸せになれず、災いも受けてしますのですか?
天(神)の分身たるお守り・お札が、なぜ1年間という有効期間を持っているのでしょうか?
本来、霊的なことと関係がないのに、利益のためにいろいろなシステムや方法が作られ商業的となっています。 残念なことです。
(戒名、院号、納骨、お札、墓、仏壇、お守り、お経、初七日、四十九日、法事、厄払いなどなど、全て霊的には何ら意味がありません)
印鑑が人の運命を変える力があると本当に思っておりますか? 物質的なものには、そんな力はありません。
ただ、水晶などの自然の鉱石にも波動があり、私たちに何らかの影響を与えることは出来ますが、それとて、人間自身の想念による
波動は、水晶などの波動と比べたら、比較にならないぐらい強力なエネルギーで影響を及ぼすこととなります。
水晶などは、人間の想念の波動を増幅したり、動植物の成長を助けたりする力がありますので、上手く活用することもできますが、水晶と
いう物質そのものが人間に大きな影響を与えることは出来ません。
おふだやお守りに対しての期待や依頼心の強い人は、自分自身に自身がなかったり弱い心を持っていることが多く、そのような人に
それ相応の霊が近づくこととなりますので、注意が必要です。
あなたが持つ、怒り、不満、不安、妬み、心配、恐怖、寂しさ、虚しさなどのネガティブな負の感情は、あなたの心身を傷つけるだけで
なく、感情の対象となった相手や、周りの人の心身も傷つけることとなります。
心の持ち方を変えることが最も大切なことですが、他の具体的な方法として、以下のようなことを実行してみてください。
とても効果が絶大です。
1.一人静かな場所で、携帯電話などの邪魔が入らない環境をつくる
2.紙とペンを用意する。
3.あなたの持つ、怒り、不満、不安、妬み、心配、恐怖、寂しさ、虚しさなどを、あらいざらい紙に書きだす。
あなたの感情のままに、言いたい放題、汚い言葉でもかまわない、紙に吐き出す。
4.書き終わったら、読み直さない。
5.何かの入れ物に、書いた紙を細かくちぎり、全ての感情と一緒に捨てる。
6.他にも書きたくなったら、また紙に吐き出し、細かくちぎり、捨てる。
7.最後に、細かくちぎった過去の感情の紙屑を、庭や外の安全な場所で全て燃やす。
遊びのようなことに思えるかもしれませんが、効果は絶大です。 いろいろなことに応用も出来ますので、ぜひ、試してください。
ただ、負の思いや感情を忘れようとしてもなかなか困難な時もあります。
あまりそれらを、なくそう、思い出すまい、とするよりも、善なる思いや行為(奉仕や慈愛)の心で生活することで、負の感情がおのずと
薄れていくのものです。
古くからアトランティスやレムリアの存在が言い伝えられています。
アトランティスの記録が残っているものだけでも、紀元前5世紀に記述されたプラトンから現在まで何百冊にのぼる本や記事が存在します。
世界的に有名で、今世紀最高の霊能者の一人でもあるエドガー・ケイシーもその存在を示し、その文明の詳細まで述べています。
さらに、世界三大霊訓でもある「ベールの彼方の生活」でもその存在を示していますし、その他の霊界通信においても過去に存在した高度
な文明の崩壊を述べています。
また、近年、その証拠と思われる深海に眠る文明の跡も発見され、ますますその事実が明かされそうとしています。
私も、アトランティス、レムリアは存在し、またその歴史が繰り返されていると思います。
まず、鉄なべの中に、玉ねぎ、えんどう、人参、キャベツ、ナス、サヤインゲン、その他の野菜を切っていれます。
儀式にのっとって、ドラムの音に合わせて、参加者が鍋の周りを踊りながら歌い、ぐるぐる回ります。
その場の波動がピークに達した時、熱い鍋料理ができあがります。
これは、儀式をする人の信じる想念のエネルギーが鍋料理を作ることになります。
魂(心)の成長のために、人生での体験を積みむことが学びの目的です。
人生は対照の中において学んでいくものであるからこそ、苦しみや、悲しみを経験することとなります。
光をありがたいと思うのは、暗闇での経験があるからであり、喜びを感じるのは、苦しみや悲しみを乗り越えてきたから感じることが
できます。
鼻歌まじりの呑気な世界では、魂(心)の成長があるはずありません。
闘争があるから平和を感じ、憎しみのなかに愛を感じ、困難があるから成就を誇りに感じるのが人生というものです。
また、人生は、動物的な下等な欲望や感情と、個人の内に潜む神的理性とが常にぶつかる、どちらかが勝つかの戦いの場と表現
することもできます。
自分が思うこと、行うこと、口にすること、憧れること、求めることが自分が理解した霊的真理と一致させることを、生涯をかけて学ば
なければなりません。
そして、最も大切なことは、人のために役に立つことを学ぶことです。
困難に遭遇し、正面から立ち向かい自らの力で克服していくことを学ぶことが、人生というものです。
そのために、この物質的な次元での生活をすることとなります。
日向でのんびり寛ぎ、何の心配もなく、何の気苦労もなく、面倒なことが起きそうになると自動的に排除され、歩む道に躓くような
石ころもなく、やりたくないことは全て人がやってくれる人生では、何も学ぶことができません。
人生は、忍耐・寛容・奉仕、それを学ぶ場であります。
有名な話としては、ニューヨークに住むキャツォーニス夫人の家に飾ってあった、聖母マリアの版画が涙を流し始めたました。
1週間にわたり断続的に涙を流し、その間に約4,000人のひとが夫人の家を訪れ、祈りを捧げたそうです。
また、ペンシルベニア州では、石膏でできたキリスト像の手のひらの部分から、血が流れ出すのを多くの人が見ています。
この石膏像は、4時間にもわたって血を流し続けたこともあり、そのキリスト像を調べた結果、何ら仕掛けもトリックもないことが確認され、
流れた血液を検査した結果、人間の新鮮な血液であることも確認されました。
同じように涙や血を流す絵や石像の話は、世界中には数え切れないぐらい存在しますが、「聖母マリアは涙」 「キリストは血」というこ
とは一貫しています。
これらは全て、私達に人知を超えた世界があることを、一種のパフォーマンスで知らせための現象です。
世界には、死亡した後も腐敗しない遺体の数は百を超えています。
それらの遺体は、聖者と呼ばれていますが、全ての腐敗しない遺体が聖者というわけでなはありません。
腐敗しない遺体が聖者となるためには、ローマ教皇庁の列聖審査常任委員会から、腐敗しない遺体に関しての厳密な証明を要求され、
それにパスをした遺体が聖者として承認されます。
現在でも、百体以上の承認された聖者が存在します。
これら腐敗しない遺体とは、もちろん内臓や筋肉も含めて腐敗しておらず柔軟で弾力のある肉体ですから、ミーラーとは全く異なります。
有名な遺体では、マントバ大聖堂に安置されている聖女オサンナの遺体がありますが、彼女は1830年に死亡し、死後約180年経過し
ているのにいまだに腐敗していません。
また、1879年に死亡したルルドの聖ベルナデッタは、死後130年以上たつのに、今もなお生きながら眠っているように見えます。
現在では腐敗しない遺体が本物であることは、証明されています。
このような現象も、私達に現代科学を超えた世界があることを、一種のパフォーマンスで知らせための現象のひとつです。
腐敗しない肉体(遺体)には、ある程度共通した現象があり、
芳香を放す、油のようなものが滲み出ている、死後硬直がない、殉教で受けた傷や聖痕などからの出血があります。
また、死後10時間以上もも経過しているのに、冷たくならずに温かい遺体もあります。
ほとんどの人は、死の恐怖、苦しみ、心配による肉体的、精神的苦痛のために、心臓がとまると血液の循環もとまり皮膚や他の細胞の
呼吸もとまり、体は冷たくなります。
それとは反対に恐怖も苦しみも心配もなく、安らかな気持ち、新たなる旅立ちのような気持ちで死を迎えると、そのやすらかな喜びの
想念が細胞におよび、血液の供給がなくとも、しばらくは自らが生存し続けることができます。
地縛霊(邪悪霊・低級霊・憑依霊・その他の成仏しない霊・幽霊)が多く現れる場所をご存知でしょうか?
時間帯は夜、場所は墓・廃墟などの人気のない場所のイメージがあるかと思いますが、このような時間帯や場所に地縛霊は好んで
は行きません。
多くの地縛霊が集まるのは昼間、そして人の多くいる場所です。 夜でも繁華街などは人が多くいるので無数の地縛霊がうろつい
ていますし、墓や病院などにも誤った想念のためにうろついている地縛霊がいます。
神社仏閣には多くの波動の高い高級霊がいる場所もありますが、特に稲荷神社のような場所では、多くの参拝者が自分達の利益だ
けを願う気持ちで訪れる人が多く、その欲に引き寄せられる地縛霊や人混みを好む多くの地縛霊が集まっています。
コーヒーはカフェインを含有する、ドラック(麻薬)の一種です。
カフェインを多く含む植物は、コーヒー、コーラ、カカオ。
コーヒーやコーラなどは、麻薬としての真の姿が見えなくなるほど、生活の一部となり社会的支持を得ているが、その依存度合いは
マリファナより強いものがあります。
日常的に生活の一部としてのコーヒータイムではなく、週に2〜3回程度の、安らぎのひと時として、コーヒーなどを楽しんで下さい。
戒名、院号に限らずお経も、お墓も、仏壇も本来は何も必要なく、成仏し霊性に目覚めた霊は、そのようなものに興味もありません。
それにより利益を得ることが出来る人たちのシステムです。
ただ、そのような習慣やしきたりに執着している人がこの世を去ると、死んだあとでもそのことにこだわり、そのようにしてもらわないと気が
済まず、地縛霊(浮遊霊)なることもあります。
その場合には、ある程度その霊の思いを理解し、それなりの対処が必要なこともあります。
(このよなケースが、子孫や身内への霊障といわれるものです)
なぜ、値段の高い戒名を付ければ光輝く極楽浄土へ行けるのですしょうか? お金のない方は暗い世界へ行くのですか?
戒名というのは本来生きているうちに与えられるものであり、どのような戒名を付けてもらっても霊界では何も価値のないもであり、かえって
恥ずかしいおもいをします。
こちらも参考に、
Q:お墓参りは、先祖供養で重要なことですか? お盆・お彼岸などは必ず墓参りをしたほうがいいのですか?
人生は、選択の連続です。
買う・買わない、食べる・食べない、どちらを買おうか、どちらを食べようか、また会う・合わない、乗る・乗らない、諦める・諦めない、
別れる・別れない、行く・行かない、調べる・調べない、聞く・聞かない、、、、、、、、
日々、無限の選択をして生活している実態があります。
その選んだ選択が原因を作り結果が生まれ、その結果が原因を作り、新たなる結果となりますが、これがすなわちカルマでもあります。
あまり悩まないような選択はいいのですが、自分にとって大きな決断となるような選択をしなければならない時などは、ひとつの選択の
指針として、以下のように自分に正直に問いて下さい。
「自分がこの道を選ぼうとしている動機はなんだろう?」
進むべき道を決断するにあたって、最も大切なことは動機です。
また、人間には神(大いなる存在)によって心の奥に植えつけられた霊性の一部である良心(道義心)が存在します。
思うことや口にすることや、行うことを正しく導いてくれる良心(道義心)があり、自動的、直観的、瞬間的に躊躇なくあなたの判断が正
しいかを示してくれますが、それと同時に偏見や欲望が出しゃばりはじめ、その良心(道義心)に従わない理由・屁理屈・他の解決法・
弁明をもって、その良心(道義心)とは異なる道を選択し、正当化する自分がいるので注意が必要です。
良心(道義心)の道を選べば心の平静を得れますが、物質的な道を選ぶと空しさが残ります。
決断する時の基準として、
1.少数の人の益になることでなく、全員もしくは多数の人の益になることを動機として判断する。
2.間違っている思いや、決断には僅かでも罪悪感を生み出すことがあるので、それをもって判断する。
3.正しい選択による決断には、自由な思いがある。
また、日々の喧騒から離れ自然のある静寂の世界に入り、その静寂の中で自分の心の奥に問いかけてみて下さい。
守護霊が直感(インスピレーション)を与えてくれます。 直感を信じて、大切にして下さい。
直感を磨く方法は、いつも自分に謙虚であり、人を思いやることです。
そして、「自分がしてもらいたいように、他人にしてあげること」、これが決して間違えることのない行動の基準です。